文化大革命の記憶~「三好学生」~下

教室を見回した私と、同じ講義を受けていた政治経済学部の友人・名倉順(仮名)と目が合った。


名倉について詳しくはこちら⬇

https://kisaragi232.hatenablog.com/entry/2019/01/15/200526


私が(マズイことになったが、どうにかしたい💦)と目でサインを送ると、名倉は一見チャラそうな白いフレームの眼鏡の下から、頼もしい眼差しを送ってきて(まかせとけ💪)とでも言うように力強く頷いた。


心が通じ合った名倉の援護を期待し、私は「W先生、これ以上、そのお話をなさるのはお辛いでしょうから……」と声をかけた。



W先生が少し迷うような表情になると、名倉が続けて「それに、せっかくこんなお話を伺えたのですから、今度は私達から質問して良いでしょうか?」と身を乗り出した!



私🐷(名倉ァァ!!私からのサインをどう受け取ったんだよ!!まずい方に引き延ばしやがって!)



すると、W先生は口を一度引き結び、「よく言ってくれました。中国に興味を持ってくれる皆さんにお話し出来て良かった。何でも聞いてください」と力強く答えた。



その途端。皆が堰を切ったように、



文化大革命の初期のうちに、大衆が止めようという動きはなかったのですか?」


「先生や当時の若者は、友人同士では革命の効果を疑うような会話はありましたか?」


と次々質問しだした。私は皆の意欲に驚き、ぽかんとしていた。


W先生は、知識人の間では当初から文革を苦々しく思っていたこと、しかしそれを口にしようものなら「反革命分子」として密告され、酷い目に遭うため疑心暗鬼でお互い言えなかったことなどを、丁寧に説明された。



結局講義は質問の時間で終わり、最後に「中国と違い、日本は自由な国です。更に皆さんは若く優秀な大学生だ。これは非常に幸せなことですよ。どんどんチャンスを掴んで下さい」とW先生の激励の言葉で締められた。



今回、中国語を一言も話してない……。W先生の退出後、私は皆に講義を潰したことを謝ったが、皆は口を揃えて「あの話が聞けて良かった、キサラギのおかげだね」とむしろ慰めてくれた。



とは言えW先生の傷を抉ったことを私は悔いたが、その後の授業ではいつもの明るく冗談好きな先生に戻り、二度と深刻な時間は訪れなかった。



あれから10数年が瞬く間に過ぎ去った。当時50代だったW先生はもう引退されているだろうが、お元気だろうか。


時々、先生の「中国と違い、日本は自由な国」との言葉を思い出す。もし今なら同じことをおっしゃるだろうか、と思いながら。(了)