文化大革命の記憶~「三好学生」~中

成績、身体、思想が全て優秀な「三好学生」にW先生はなれなかった、と悲しい表情で呟いた後、こう語りだした。


「何故なら出身成分《※出身家庭・階層などを指す》が悪かったからです。


私の父は高級中学《高校》の歴史の教師をしていました。学のある人で、書道や詩作が趣味でした。しかし、文革の時はそういう人は労働の大切さを知らない堕落した人間だとされて批判の対象になったのです」


先程から、教室では物音1つしていない。誰もが真剣な表情でW先生を凝視していた。



「当時、私は中学生でした。労働者階級の生徒は学校で褒められ、共産党青年団員になることが出来たのに、私は皆から無視されていました。紅衛兵の活動にも参加出来なかった。」



文革の際、熱狂した少年少女は紅衛兵として知識人や富裕層の家に押し入り、文物や財産を破壊した。また、そういった知識層の大人達は三角帽子を被せられ、町を引き回されたという。


「ある日、私の父も他の教師や元・官僚達と街中を引き回されました。私と同じ位の少年少女が父を小突き、罵倒しているのを見て、父と目が合った気がしましたが、私は巻き込まれるのが怖くて建物の陰に隠れました。情けなくてずっと泣いていました。」


W先生はもっと詳細なエピソードを語ってくれた筈だが、20年近く前なので明確には覚えていない。



ただ、ここまでの語りに30分ほど経過し、普段和やかな中級中国語の講座にただならぬ緊迫感が有ったことは深く記憶に残っている。


私🐷(なんでこんな深刻なムードになったんだろう。先生も悲しそうだし、このペースだと中国語の授業潰れそうだしマズイな~。きっかけは何だったっけ?)


⬛きっかけ➡私🐷「三好学生って何ですか?」⬛



私🐷(私が犯人じゃん!!何とか事態を収拾せねば)


私は焦って周りの学生達を見渡した……(続く)