実録・次々と宗教やマルチにはまる親⑪呪いのキャンプファイアー🔥

1995年の夏…千葉県南部の某市に家族で転居して1年数ヵ月が過ぎ去ろうとしていた。



徒歩20分以内で地元の繁華街に行け、電車で15分で難波や天王寺に行ける環境で育った私は、回りには田畑ばかり・最寄りの無人駅(!)まで車🚙でも30分…という新しい生活環境に馴染めずにいた。



私🐷「ああ…紀伊国屋書店に行きたい。天王寺あたりの駅ビルに行って服が見たいっ!!」



ネットの発達してない時代。Amazonも数年後まで登場しない。都市部と僻地の生活格差は、現代と比べようもない。



私🐷「そんなんはええとして…高校どうしよかな」



近隣の子は、半分くらいが地元の同じ高校に進んで卒業し、地元に就職するらしい。だが…その高校に進学すると大学進学はかなり難しい。



いくら母親が私の教育に興味が無くとも、見栄張りだから大学進学には反対しないだろう。それにもし高卒で地元で就職したら、結婚まで親元で暮らすことになる😱



絶対に嫌だ…😣と私は身震いした。都内の大学を狙えるような高校に入ろう。18歳か22歳かどちらかで必ず家を出ていくんだ!!と心に誓う。



この頃夏期だけ数駅先の繁華街の学習塾に通い、そこで知り合った他校の中学生グループと一緒に遊ぶようになった。ある日グループの男子から休日の遊びの誘いの電話がかかって来たが、運悪く取ったのは母だった。



母🐍「あんた、相変わらず男が好きね😒」



吐き捨てた後、母はふと表情を穏やかにして「そうそう、今度の夏休み中に関東の中高生と保護者のキャンプが○○山であるんですって。色々な高校の人と知り合えるし、受験の参考になるかも知れないから行ってみたらどうかしら?」と口調まで優しげに言った。



珍しく私のことを気遣うような言葉に、私はふと油断して「行ってみようかな」と前向きになった。



「何のキャンプ?」と突っ込んで聞くべきだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


8月中旬、関東某県の○○山。バスを降りた母と私の前に和風建築と、「××××教 教化道場」と筆で大書した木製の看板が飛び込んできた。



私は母を睨み付けたが、中学生が土地勘の無い他県の山から一人で帰れるものではない。どうせ二日間かそこらの我慢や😣と怒りを抑えて中に入る。



しかし初日から、100回ほど「有難うございます!万物に感謝」と何回も唱和させられたり、「笑顔☺の練習」を繰り返しさせられたので私の忍耐は早くも限界に達しつつあった。



確かに中学生も来ていたが、不登校や引きこもりの子供を親が心配して無理やり参加させている場合が多く、受験についての話は合わなかった💧



彼らも笑顔の練習をしているうちに更に暗いムードに陥っていった😱(※鬱になりかけている人に明るさを強請するのは禁忌だよ!この子達、後々大丈夫だったかな~💧)



げんなりしながら2日目の夜を🌃迎える。



親子がペアになり、山のキャンプ場へ向かった。(今度は何させるんじゃ💢)と不貞腐れる私。すると教団の若手教徒が白い紙を配った。



教徒👨「では皆さん、浄心の行を始めましょう✨

その紙に憎んでいる人の名前とその理由をお書き下さい!!そして、火にくべて燃やし、心を全て浄化するのです!」



私🐷(どんだけ恨みのこもったキャンプファイア😱)



私は憎んでいる人の名前を思い浮かべようとした。小学生の時は大嫌いな教師がいたっけ…それとも、父を僻地に転勤させた父の勤務先?学校の気の合わないあの子?…いや、他の誰でもない。



……私の誰より憎んでいる人間は、母ではないか。



その母は隣にいて、先に火の中に紙をくべている。母にも憎んでいる人間がいるのだろうか。
私の場合、紙に母の名を書くより本人を今、火の中🔥に突き飛ばした方が話が早いのではないか。



「豚子ちゃんは書けない?嫌いな人が居ないのかな?素晴らしいね😊」


立ち尽くし、じっと炎を見つめる私に若手教徒が笑顔で話しかけてきた。



私は曖昧に笑い、結局何も記入していない白紙を火にくべた。(続く)