実録・次々と宗教やマルチにはまる親⑮(終)悠久のアンコールワット

実家で荷物を処分してから、また2年近い年月が過ぎた。2005年の12月末、成田空港内のレストランで私は父と向かい合っていた。


父🐮「どうや、元気でやっとるか?お友達も」

※この時、ソナと私は、まだ一緒に暮らしている。


私🐷「うん、おかげさまで。兎子も一人暮らし始めたんだって?メール来たよ~」


父🐮「一人暮らし?とんでもない。あいつ、まだ大学に入ったばかりやのに、男と同棲しとるんや」


※前に出てきた健太郎とは別の男の模様…


父🐮「鹿男も彼女がおるけど、暴力ふるわれたり浮気されたり散々な目に合うてるらしいで」


私🐷(…その女は多分、ボーダーだな😱)


父🐮「父さん、家族を守るために一生懸命働いてきてんけどなあ。子供らは皆仲悪いし、可愛がった長女のアンタは家出状態や😥何が悪かったんかな」

父は、私や妹が母のことを訴えても「母さんは箱入り娘で世の中を知らんから、あんたらが我慢せな」と言うだけで母を変えるために何もしなかった。


それを考えると、あまり父にも同情出来ないが…


私🐷「そろそろ荷物検査に行かないと。今日はわざわざ見送りに来てくれてありがとう。」


父🐮「アンタが千葉県に来ることがあんまり無いからな。寒いやろから、これを持って行きや」


父は真新しいカシミアのマフラーをくれた。


私が今から向かうカンボジアの気温は30度…父の行動は母への対処以外にも何かズレている😅だが、父は父なりに私達を愛しているのかも知れない。


中継のベトナム・ノイバイ空港を経て、カンボジア
シェムリアップに入った。


翌日はマイクロバスに乗ってアンコールワットへ。
幼い頃、「ジャングル・クルーズ」に初めて乗って以来、ずっとここに来たかったのだ。


アンコールワットに行きたい、という話を給食の時間に原くんにしたら、「俺も行きたいけど今はまだ地雷があちこちに埋まってるし💣クメールルージュの残党がいるから行かん方がええで」と言われたっけ…1990年代の前半はまだそんな状態だったのか。


陽射しが強い。登り終わり、象のテラスまで来た。私は木陰で一休みしながら、物思いに耽った。


原くんやオッさんと最後に会ってから、もう10年が経った。


この10年よく無事に生きてきたな、と我ながら感心した。この頃「引きこもり」がよくテレビで特集されるようになっている。私も生育歴を考えたら、子供の頃から今までいつそうなってもおかしくなかったのだ。


それが高校大学と進学し就職もして、一人でカンボジアまで旅行にも来れるようになった✈


彼らとは中学でクラスが離れてしまい、話す機会が少なくなったまま転校した。疎遠になってからだったのできちんとお別れを言えなかったことが少し心残りだった。



彼らと過ごした時間は2年に満たないくらいだが、その時間が私の人生の方向性の全てを変えた。



帰りのマイクロバスから、そろそろ出ますよ、とガイドさんが呼びに来た。次はバザールで買い物だ。同居人のソナのために、ドライフルーツと黒胡椒でも買おうかな、と考えながらバスに乗る。



私は遠ざかるアンコールワットを振り返って、願い事を心の中で唱えた。



オッさんや原くん、他にも私に少しずつ愛をくれた人達が、ずっと幸せでいますように。


そして私も、いつかは幸せになれますように。(完)

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読んで頂いてありがとうございました。母がハマったマルチや宗教も、頭のおかしいエピソードも本当はもっと多いんですが、書ききれませんでした…😅


次のシリーズは明るいノリで行きたいと思います。