実録・次々と宗教やマルチにはまる親⑤突然の干渉開始

これまでの年月、母は自分が帰国子女であること、渋谷区で結婚まで…いや、結婚後も過ごしたことをずっと鼻にかけていたようだ。



京都市内生まれだが、親の転勤で地方を転々とした夫(私の父)のことを頻繁に「田舎の人w」と馬鹿にしていたし、南大阪にも馴染もうとしなかった。




母の言葉遣いは常に東京山の手のお嬢様風だったし、子供達にも「ママ、豚子ね、あのテディベア🐻が欲しいの。買って下さらない?」というように話すよう強要した。




ところが…大阪に来て1年が過ぎるまで、母は弟を連れてアム○ェイの活動に没頭し、家事や私の世話は祖母に丸投げ👋していたため、私の変化に気がつかなかったのだが。




あれは1988年くらいだろうか?その頃は弟が病気がちになり、自然と母は家にいるようになっていた。ある日の夕方。いつまでもワイドショーを観ている母に苛立ち、私はつっけんどんに声をかけた。




私🐷「なあ、おかん。ええ加減ドラゴンボールの時間やから、いつまでも下らん番組見とらんでリモコン貸してや😒チャンネル変えたいんやけどな」




母はこの言い方と南大阪弁にショックを受けたらしい。ほんの1年と少し前まで、フリフリの服を着て標準語で「豚子ね、伯母様が買って下さったジェニーちゃんの新しいお洋服大好きなの♥」と言っていた娘である。





気が付くと、娘の長く伸ばして大きなリボンを着けていた髪はショートカットになり、自分で勝手に選んで祖母に買って貰った北斗の拳のトレーナーに、黒いデニムを着ている。(⬅もっと早く気づけよ)




母🐍(なんなのこの子…!!まるで見た目が男の子じゃない!それに今の口の利き方、許せない!😠)




タイミング悪く、この日のドラゴンボールは「ピッコロ大魔王が卵を産む」回だった。
(⬆若い方は何のことか分からないと思う。興味があったら画像検索してみて下さい💧)




そして、ピッコロ大魔王の産卵シーンを目の当たりにした母は激怒した⚡




母🐍「あなたの教育に悪すぎる!!こんな下品な番組、2度と見せませんからねっ!!誰の影響でこんなの好きになったの!?緒形さんのお嬢さん?もうあちらへ遊びに行くのも止めなさいッ!!😠😠」



一時間近く怒鳴られた上、オッさんと遊ぶのも禁止され、翌月からピアノ🎹と生け花🌺を習うことを勝手に決められた。




これからは豚子を監視しなければ、と思った母はアム○ェイの集まりに行くのも止めて、急速にネグレクト系から束縛系に変貌を遂げるのだった。



…が、それは新たな依存への開始でもあった(続く)