実録・次々と宗教やマルチにはまる親④放置子の出来上がり

前回の、マダムが誘ってきた「ホームパーティ」とやらの話ですが…賢明な読者の皆様はもうお分かりですね?



…日本に根強いマルチ商法、ア○ウェイでした♥




ホームパーティに誘って色々な料理を出し、「これで簡単に出来るのよ♥」とまずはフライパンや食品なんかを売り付けるんですよね。




さて、母のパーティ参加後、我が家にはいかにもアメリカンな赤色や青色の粉末ジュースが置かれるようになった。




父🐮「…これ…何なん?」(恐る恐る聞く)




母🐍「ビタミンCが特別に○○なジュースですって。○○○が体に良いのよ🎵」(詳細は忘れた)




私も飲んだけど、USA🗽USA 🗽って感じの味でしたね…ニチレイアセロラジュースの方がよほど美味しいと思いました。




大阪にママ友が居ないこともあり(東京にも居なかったが😔)母はそれから1年ほどアム○ェイにのめり込んで、マダム達とお茶をしてはフライパンや浄水器などを買い込んで来るのだった…




この間私は小学生になっていたが、家に帰っても母は弟を連れて不在か、家でマダム達とお茶をしているので居場所がなかった。




そこで近くの公園でブラブラしていることが多かったが、公園の真向かいの寿司屋🍣の娘も営業時間内はよく公園にいた。同い年の私達は、自然と一緒に遊ぶようになった。




寿司屋の娘は「緒形美紀」という名前(仮名)で、当初ミキちゃんと呼んでいたが他の子が「オッさん」と呼んでいるので合わせることにした。(小学生女児のあだ名とは思えない😵)





オッさんはしっかり者の両親に育てられた上に兄がおり、家も接客業のためか、大変精神的に大人びた子供だった。




逆に私は6歳まで母から殆どネグレクトのような状態で放置され、きわめて精神的に幼い子供だったので、同い年のオッさんは私を妹のようにあれこれと世話をしてくれた。




平日はオッさんとゲーム(その頃ドラクエ3が大ブームだった)し、ドラゴンボールなどアニメもオッさんの家で見せてもらい、食事時になると家に帰る。夏休みにはオッさんの親も一緒に天王寺動物園海遊館に行く。





今で言うところの主婦界で忌み嫌われる「放置子」であるが、その頃は割と何処にでもこういう子供はいたので周りも寛容だった。そして、オッさんやその両親のおかげで、靴紐を結んだり箸も持てるようになった(他所のご両親に大迷惑💧)




他の友人の家にも行くようになり、私にとって生まれて初めての楽しく充実した日々✨が訪れようとしていた。…が、オカシイ親がいる子供はそう簡単に幸せにはなれないのであった(続く)