実録・次々と宗教やマルチにはまる親②楳図かずおじゃねえよ!

先に紹介した英会話学校に母が勤めていた頃、私達母娘は都内で母の両親の近くに住んでおり、父はその母(私の祖母)と共に大阪に住んで別居していた。




…何故って?母の両親が「蛇子(母)は妻としての務めを果たすには若すぎるから、5年位は私達の近くで暮らさせたい」と言ったからだ😣




…ちなみに、結婚当時の母は26歳。これは昭和末期の話なので、現代なら32歳位の女性として考えて貰いたい。若すぎるか!?😱




しかし私が4才になると、ついに堪忍袋が切れた(遅いよ💧)父と祖母は、母を大阪に呼び寄せることにした🏠




引っ越しの支度をするのに上京し、母の借りていた部屋に足を踏み入れた父と祖母は唖然とした。




タンスに入りきらず、床に積まれて天井まで溢れそうな母の服・服・服👗




乱雑に散らかった英語教材と英語の絵本。




化粧品とブランドバッグの山。更に、幾つもの小さな袋に分けられた白い粉末が入った箱。




父🐮「こ、これは何なんや?」




母🐍「パパイヤ酵素の粉末よ。体に良いんですって。あなたの分も買い込んでおいたわ🎵」




一箱一万円、と記された箱が10箱位ある💀



えらいこっちゃ。大阪に連れてったら嫁はんの行動を監視したらなあかんな😱…と父は戦慄した。



祖母は私の服を整理しながら眉根を寄せた。
「何でやろ…普通の服があらへん…💧」




1980年代後期。当時の日本、子供の服と言えばトレーナーにジーンズやデニムスカートが定番。ミキハウス全盛期で、今のように多様化していないのだが…



そんな時代に、母はわざわざ青山の高級こども服店に行ったり、ハワイやアメリカの友人に頼んでお下がりのこども服を送って貰っていた。




ミニーマウスのような、赤地に大きなドットのスカート。セーラーカラーのワンピース。リボンの付きまくったショッキングピンクのセーター。




そして、赤と白の幅広いボーダーのニットに、オーバーオール。白いベレー帽…。




一般の日本人はそんな格好しない。楳図かずお画伯とウォーリーくらいしか。と言うか、ウォーリーは日本人じゃないしね😵




しかし、父や祖母はまだ知らなかった😣




母の一番の問題点は、買い物依存でも部屋が汚いことでもなく、これから様々な宗教への入信⛪や近所迷惑な行為を繰り返すこと。また、子供にしつけをする能力が全くないことなのだと…!!


…次回から舞台は大阪へ移ります♥(続く)