実録・次々と宗教やマルチにはまる親⑧隣の席の少年

1991年の秋が来た。相変わらず母からは「テレビを見せない・行動を監視される・母の選んだ、色合いや形がお婆さん👵のような服を着せられる・見た目を貶される」という迫害を受けていた。





だが、それでも私には新たな世界が広がっていた😌
市の作文コンクールに入賞したお祝いに、祖母がCDプレイヤー付ラジオを買ってくれ、私は部屋でこっそりラジオ大阪の「ブンブンリクエスト」という音楽番組を聞くようになった。





時代はJポップ全盛期。テレビが見られなくとも流行の歌が分かるだけで友人との話題が広がるのだ。





この頃聞いた「ALONE」がきっかけでB'zが好きになり、貯めておいたお年玉で初期のアルバムも購入した。辛い生活の中でも、音楽が私の心を自由にしてくれる(※なりきり易い性格のため、気分はすっかり囚人💧)




翌年。5年生進級とともにクラス替えがあったが、ここで幼なじみのオッさんと初めて同じクラスになり、私達は2年ぶりの再会?を喜んだ。




オッさん「豚やん!久しぶりやな!同じクラスでめっちゃ嬉しいわあ♥」 私🐷「おお、心の友よ♥」




※遊んでないだけで、お互いの家は徒歩1分の距離なのに無駄にオーバーリアクション😌




オッさんは今で言う「スクールカースト」上位の女子だったので、自然と私もクラスの中心グループと話すようになった。早生まれにありがちな「末っ子キャラ」でクラスでのポジショニングもバッチリ。学校では毎日が快適だ😊




5年になってテストの点が益々下がり、平均40点位になった以外は特に気にならない…いや、同級生より精神的に幼い私はそれすら気にしなかった。





そうこうするうち、2学期になって席替えがあった。同じ班になったのは、これまであまり関わりの無かったグループの子ばかりだった。





私🐷(知らん子ばっかりで、気まず。まあ見た目悪い人達やなさそうやな。挨拶挨拶っと)
⬆⬆見た目悪い人そうな小学生が居たら嫌だろ😅





私は隣の席になった、小柄で細身の少年に目を向けた。この子とは4月以来一度も話したことがなく、名前も不確かだが…ええと…思い出した💡!




私🐷「なぁ、原平良(はら・たいら)くん(※仮名)やんな?同じクラスになるのは初めてちゃう?」



原くん👦「そうやな。けど、俺はキサラギのこと知ってるで。そこそこ有名やからな。」




一瞬、私は警戒した。母が去年手紙をくれた男子の親にクレームをつけたこと、幼い弟と妹を連れて遊び回っていること…他にも奇行の数々は、近所では有名だった💀違うクラスだった子が知っててもおかしくないからだ。一気に気分が暗くなった⤵




すると私の暗い表情を見た原くんはハッとした顔になり、慌ててこう言った。




原くん👦「ほら、市の作文コンクールに入賞したやろ?俺もあのコンクールに出してんけど、かすりもせえへんかったからな。悔しかってん😉」




言いきった後、私を宥めるように笑顔を見せた😊




…私は察した。本当は原くんは母の奇行を知っているのだろう。その話題を出そうとして、私のネガティブな反応を見て咄嗟に話を変えたのだ。




私🐷(この人は私より小柄で幼い外見なのに、精神的にはずっと大人だ。私や他のクラスの子は勿論、私の母よりも大人なんだな…✨)




翌週、授業中に実施した小テストが返された。原くんはふと私のテストの点数を横目で見て、ギョッとした。



原くん👦「キサラギ、点数間違ってへんか?あんな作文が書けるのに、そんな点数低いとは…」



私🐷「え?いつもこうやけど?私は原くんみたいに頭良くないもん。もー諦めとるわ💧」
※原くんの成績は学年で一・二を争うレベル




それを聞いて何故か、原くんは暫く考え込んでいた。そして放課後、担任教師と何事かを相談しているのを見て私は不審に思いながら帰宅した。




翌日、担任が私を手招きした。教卓の側に原くんも立っている。



担任👱「キサラギさん、原くんがな、これから毎日、学校が終わったら30分ほどあんたに勉強を教えたいんやって。あんたが良ければ先生も賛成やけどどうかな?」

 
         は ?🐥



私は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔で、担任と原くんを交互に見直した(続く)




※今回は母の暴走シーンが無くてすみません🙇
次回、また新しい宗教が出てきます!お楽しみに♥